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巻頭特集Ⅱ働き方改革事例 末田薬局

成否はコミュニケーション次第 零細こそ取り組むべきWLB

  • WLBに取り組み職場のムードが変わり、結婚しても働き続けたいというスタッフが初めて現れた

 江戸後期から明治初期にかけて優れた洋学者を多数輩出した土地柄で、現在も医療機関の集積度が高い津山市中心部にある㈱末田薬局(津山市田町9-3)。末田芳裕社長は10年間のチェーン薬局勤務を経て、「サラリーマンである限り決裁権はない」と独立を決意し、2007年に開業した。

 開業後は自らの理想の実現へモーレツに働いた。「一方通行が当たり前の医師と薬局の関係を双方向に改めるなど、とにかく老舗のサービスを否定する異端児でしたね」。業績は右肩上がりで、13年には自社ビルも建設。顧客満足度を上げるため薬膳カフェの開設、薬膳料理教室などにも挑戦し、売上高2億円という1店舗のみの薬局としては「異例の快進撃」が続いた。

 一方で、売り上げを伸ばすことにとらわれるあまり、勤務は毎日のように深夜に及び、何より自分と同じ価値観をスタッフにも押し付けてしまうことに。「付いてくる人だけでいい。代わりはいくらでもいる」と、やる気を奪い退職者が相次ぐこともまるで意に介していなかったという。

 止まらない離職は職場環境のさらなる悪化を招き、6人いたスタッフは半減。さすがに危機感を持った末田社長は、退職願を提出したスタッフの慰留に乗り出したが「あなたとは永遠に理解し合えない」と痛烈な一言を浴びせられることに。八方ふさがりの状況に陥り、スタッフの前でも「もうお手上げ。くたびれた」と廃業の考えすら口にするようになっていた。

 2014年春に1つの転機が訪れる。同社での勤務経験があり、ワーク・ライフ・バランス(WLB)のコンサルタントとして活躍していた日笠佳絵氏から経営戦略としてのWLB導入を提案された。スタート時点では「効果を期待したわけではなく、彼女がそこまで言うなら…くらいの軽い気持ち」(末田社長)だったという。

 日笠氏自身、末田薬局在職中は長時間労働を経験し、家庭との両立に苦労した。「少しでも職場環境をよくできれば」との思いで勉強会を開き、時間管理の重要性などをスタッフに説いたが、当初は「悪いのは社長」という意識が強く、前向きになるまでにはしばらくかかった。15年夏に創業メンバーの医療事務トップが退職し、もはや真正面から向き合わざるを得ない状況になり、スタッフの意識も徐々に変わっていったという。

 具体的に進めたのは「翌日の作業計画をスタッフで相談しラインのグループで共有」「調剤室、補助室の整理整頓」「昼休みは薬膳カフェでコミュニケーションをとりながら食事」などのほか、定時退社することを全員の努力目標に掲げた。退職を申し入れたスタッフも「自分磨きのために会社に残る」と宣言。社長の言うことに従い、黙々と仕事をこなすだけだった社内のムードも一変。白衣の使用をやめた末田社長からの業務指示に「その意図は?」と逆に問い返すなど、社内のヒエラルキーが緩和されることでコミュニケーションが深まり、離職者も出なくなった。

 末田社長自身は、WLBを本格導入して初となる2016年9月期の決算をみて、その効果を確信した。売り上げこそ近隣の病院が移転するという外部要因があり8%ほど減収となったが、固定費の削減で利益は逆に20%アップ。病院の都合に合わせていた営業時間も「自社軸で仕事をする」ように切り替え、余裕の生まれた時間はライオンズクラブなど自らの人間性磨きに充てることができるようになった。時短勤務など多様な働き方を認めることで雇用対象も広がり、新しいことを学び成長し続けられる環境が社内に生まれつつある。

 日笠氏は「WLBの成否は社内でいかにコミュニケーションがとれるかということに尽きる。離職者が出るのはピンチだが、組織の風土を変えるためのチャンスにもなる」と指摘。末田社長は「過去の成功体験は再現性がなく、何をしてもうまくいかなかったから自身の考え方を変えることにした。WLBは経営の重荷になるものではなく、中小・零細企業こそ取り組むべきものと確信した」と話し、今後は漢方による未病対策などの分野にも注力していく方針だ。

メモ
住 所 津山市田町9-3
代表者 末田芳裕
資本金 800万円
創 業 2007年10月
従業員 9人

本誌:2017年1.1号 10ページ

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