WEB VISION OKAYAMA

連載記事

花王のストーリー

 島崎藤村の『東方の門』は未完の作である。1929年に『夜明け前』を発表し、戦争へと向かう重苦しい日本と自身の老いの中で未完となるこの『東方の門』を亡くなる1943年に発表した。この中で花王の創業者である長瀬富郎が蝋山千十郎として取り上げられている。長瀬富郎が明治維新後高価な舶来石鹸に代わる品質のよい国産石鹸の製造・販売に取り組む過程がかなり長く書かれている。実際にどれくらい親しかったのかは不明であるが、同郷の故にかなり親しかったと思われる。島崎藤村はこの著書を第二次世界大戦が終了してから発表する予定であった。暗い戦争に突っ走る昭和18年8月大磯の自宅で未完のまま世を去ることとなった。

 一橋大学出身の城山三郎は「経済小説」のパイオニアである。『落日燃ゆ』の広田弘毅や、『もう、きみには頼まない 石坂泰三の世界』での石坂泰三、『勇気堂々』における渋沢栄一など多くの財界人や歴史上の人物を取り上げた小説を発表している。筆者はかつて広田弘毅がA級戦犯として処刑され荼毘に付された横浜市西区の久保山火葬場の見える社宅に住んだことがある。先輩から広田弘毅の話は何度も聞かされた。

 城山三郎は島崎藤村の最後の未完の著である『東方の門』に触発されて花王を取り上げた。それが『男たちの経営』である。島崎藤村は長瀬富郎が日本で生産を始めた「石鹸」が明治維新後の日本の工業化や近代化を象徴する商品として捉えており、城山三郎もそこに興味を抱いたようである。『初代長瀬富郎伝』の著者である服部之総は城山三郎から見ればマルクス主義者である。二代目の長瀬富郎はこの服部を獄舎から救い出し花王の宣伝を任せるなど活用した。『男たちの経営』の後半は技術系の丸田芳郎などの活躍の場面を描き、花王がどのように今日日本を代表する企業に変革させることに貢献したのかを書き上げている。

 花王の社史によれば1887年創業の輸入雑貨を取り扱う長瀬商店は津山の洋学者宇田川榕菴の翻訳した『舎密開宗』などを参考に国産初の石鹸を1889年に開発し、1890年に「花王石鹸」として商標登録した。長瀬商店が花王の前身である。花王の社史では宇田川榕菴のこの著書が写真入りで解説されている。津山出身者としては大変光栄だと思っている。

 花王はその後油脂、パラフィン、アルコールなどの化学品製造に乗り出し、戦後は洗剤などの消費財のメーカーになる。カネボウなどを傘下に収めながら消費財メーカーとして日本を代表する企業となっている。「創造性の重視」「人間性の尊重」「消費者優先」という3つの指針を大切にしながら今日「よきモノづくり」をスローガンにしている。

 花王には日本を代表する作家に取り上げられるようなストーリーがある。また、技術開発を核として新たな商品を作り出す遺伝子がある。創業当初からアメリカのライバルメーカーであるプロクター&ギャンブル(P&G)社を意識してきた。既に繰り返し述べてきたが、P&G社が1931年世界で初めてブランド・マネジメント制度をスタートさせた。花王が第二次大戦後消費財メーカーとして拡大する中ではP&Gに習ってコーポレートブランドである「花王」よりプロダクトブランドであるアタック、メリット、ソフィーナ、ビオレ、などを重視してブランド戦略を展開してきた。その後も、カネボウ化粧品やモルトンブラウンなどの買収によりブランド・ポートフォリオとして企業価値を最大化する戦略に徹している。しかし、P&Gやユニリバーなどとの規模の格差は依然として大きく、今後の経営の最大の課題は現在30%程度である海外売り上げをできるだけ早く50%以上にし、グローバル化を進めることであろう。

 余談ではあるが、島崎藤村の『初恋』は学生時代に何度も歌い今でも覚えている。また、城山三郎は作家に専念する前に愛知教育大学で「経済原論」などを教えていた。彼の講義を受けて見たかったと思うのは筆者だけであろうか。

本誌:2017年1.1号 105ページ

PAGETOP