WEB VISION OKAYAMA

連載記事杉山慎策の経営学考察

ニクソン・ショック2

 本来であれば通貨体制の大転換の前にもう一つのニクソン・ショックであるアメリカの対中国政策転換について語るべきかもしれない。筆者がアメリカに発つ寸前にアメリカの対中国政策は大きく転換された。1971年7月15日にニクソン大統領は中華人民共和国へ公式訪問することを発表した。そして、実際に1972年2月21日に北京を公式に訪問し、周恩来首相の出迎えを受けた。

 アメリカは長引くベトナム戦争で疲弊していた。筆者も週末教会に誘われることがあり、若者たちのグループに入れられ、グループトークをする機会があった。出席していたアメリカの若者は兄や弟が徴兵されベトナムに送られるという話をし、涙を流していた。豊かなアメリカ社会にこのような暗い一面があるのを肌で実感した。最終的に1973年1月にパリ和平協定が締結され、ベトナム戦争は終結に向かうこととなった。交渉をまとめたヘンリー・キッシンジャーはノーベル平和賞を受賞した。

 大統領選の中でニクソンはベトナム戦争の終結と対ソ連との観点から、台湾より人口の多い中国と国交を結ぶことを選挙戦で訴えていた。当時中国もソ連と対峙しているような状態で、米中の利害は一致していた。

 筆者はこのアメリカの対中国政策の大転換についても日本からの留学生と議論した記憶はない。ただ、日本にも立ち寄らずに直接北京に降り立ったことについて日米同盟は一体正常に機能しているのだろうかと思った記憶がある。

 1971年7月のニクソンの対中国政策の発表前には、名古屋で卓球の世界大会があり、その大会に中国は選手団を派遣した。アメリカの選手団は中国への訪問を希望し、毛沢東が最終的にアメリカ選手団の受け入れを認めるという「ピンポン外交」を実現させていた。

会員申し込みはこちらから

本誌:2023年10月2日号 19ページ

PAGETOP