WEB VISION OKAYAMA

連載記事杉山慎策の経営学考察

村田清風1

 明治維新を叩き出した薩長土肥の内、肥前と薩摩については既に分析をしてきた。明治維新のような改革には多額の資金を必要とする。戦うための武器の購入にも多くの資金を必要とする。時代は既に近代戦に移行しており、一対一の刀の戦いは既に遠い昔の物語となっていた。

 薩摩は琉球を介した密貿易、そして、砂糖栽培の独占が大きな財源となった。肥前の資金の一部は長崎をベースとした貿易による収益と、一部の資金は間違いなく徳川幕府から出ていた。長崎の警備は肥前藩と福岡藩とが交代で責任を負っていた。

 明治維新を実現したもう一つの雄藩である長州はどのようにしてその資金を捻出したのであろうか。そして、そのための藩の近代化をどのようにして成し遂げたのであろうか。

 時代は少し遡る。安芸の国を治めていた毛利輝元は豊臣政権の五大老の一人であり、反徳川の戦いである関ヶ原の戦いでは総大将に祭り上げられていた。言うまでもなく、輝元は秀吉から112万石を安堵された雄藩であった。

会員申し込みはこちらから

本誌:2021年GW特別号 17ページ

PAGETOP