WEB VISION OKAYAMA

連載記事杉山慎策の経営学考察

島津斉彬1

 徳川幕府末期三百諸侯の中で最も英明であると言われた島津斉彬(以降斉彬と略す)の改革について述べてみたい。斉彬は薩摩藩11代藩主、島津氏28代当主である。文化6年(1809年)江戸の薩摩藩上屋敷で生まれた。父は島津斉興(薩摩藩第10代藩主、島津氏第27代当主)、母は賢夫人と言われた弥姫である。幕末の列侯の中には、越前松平春嶽、肥前鍋島閑叟、土佐山内容堂、宇和島伊達宗城、筑前黒田斉溥、水戸徳川斉明、老中阿部正弘などがいた。斉彬はこれら列侯などと議論をしながら明治維新を実現した。薩摩藩においては長く世子の座に甘んじ、藩主になってから7年程で亡くなってしまった。

 斉彬についても多くの研究書が書かれているが、本論文は主に池田俊彦氏の著書である『島津斉彬公伝』による。1954年に岩崎育英奨学会刊により発刊され、1994年に中公文庫としてまとめられたものである。

 斉彬の母は鳥取の池田藩池田治道の三女弥姫で、後に賢章院夫人と呼ばれた才女であった。残念ながら斉彬16歳の時に早逝した。当時高貴な家柄において子育ては乳母の手にかかるのが普通であったが、弥姫は自ら母乳を与え、おむつの取り換えまで自分で行い斉彬を育てた。 

会員申し込みはこちらから

本誌:2020年12月1日号 21ページ

PAGETOP