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連載記事杉山慎策の経営学考察

上杉鷹山6

 治広に藩主を譲り、治広主導で改革を進めたことをもって第二次改革と呼び、この度の鷹山自らが進める改革を第三次と呼ぶ研究者も多い。しかし、治広の改革は治広が実施したものであり、鷹山の実行した改革ではない。治広に任せていた米沢藩の経営が滞り、やむを得ず自らが中心となって改革に乗り出した。従って、今回の改革を鷹山の第二次の改革と呼ぶこととする。

 鷹山の第一次の改革は、鷹山自身が若かったこともあり改革を急ぎすぎた面があったことは間違いない。第二次改革は寛政の改革とも呼ばれるが、不惑を超えた鷹山は今回は慎重に改革を進める。合議制を取り、莅戸善政、中条至資、広居忠起の3名の合議による会議を最高意思決定機関とした。この3名に加えて、必要に応じて大目付の丸山蔚明、仲之間年寄黒井忠寄らが招かれた。

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本誌:2020年6月1日号 17ページ

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